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主题:【纪事】两次淞沪抗战失利之悲剧 -- 雨夫

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家园 淞沪

If I am not wrong, the rough casualty ratio is

淞沪roughly is 1:8

Taierzhuang is 1:3

WuHan is 1:1

上海围攻战,“兵力不足,为攻城失败原因之一”,而“攻城编组炮兵力量薄弱,此为攻城失败原因之二”。史说回忆,“怎样以劣势装备对优势装备作战,怎样利用士气和敌性打击日军,都没有深入的研究,”而“步兵与炮兵、战车协同作战的训练从来没做过”。

Most of the Chinese armies involving with Songhu had no conception about mordern war. The battle style is still the one in WW I.

According to Japanese's opinion, Chinese leaders thought, based on the experience of WW I, taking military actions to Japanese in 淞沪 has no risk at all, because, at the worst case, the HuNing line could stop Japanese's anti-attack.

この戦闘の背景には、蒋介石の、万里の長城以南の中国に対する統一を守る(蒋介石は現時点では満州における領土回復は後回しと考えていた)ために、日本軍を華北から撤兵に追い込むという戦略があった。このとき既に日本は華北分離工作によって華北にその影響力を強めており、これは国共内戦を戦う蒋介石にとっては国民の支持を得続けるためにも容認できない事態であった。

この戦略の基礎となったのが1930年代における中独合作である。1934年からドイツの中国国民党への投資が続いており、ドイツ製の軍需物資が輸出され、第一次世界大戦型の要塞線「ゼークトライン(チャイニーズヒンデンブルクラインとも)」が上海の西方の非武装地帯に上海停戦協定を違反して築かれた。又、継続的に参謀も派遣され、当時ドイツからの軍事顧問として国民党で働いていたファルケンハウゼンの計画にそって、日本の侵略にたいし国民党軍は上海租界を攻撃し、日本軍を要塞線にひきつけようとした。

この作戦は、上海に駐留する日本軍を攻撃により挑発して要塞線で出血を強いる事で、日本国内の対中干渉世論を転換させる事が目的であった。第一次世界大戦で得られた軍事的経験に従えばこれはあまり冒険的でない作戦計画であり、だからこそ蒋介石も採用したと思われる。

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